僕は2012年ごろにフォーカルジストニアを発症しました。
当時の状況など様々な原因がありますが、結果的に今現在に至るまで、治療は試みていません。
この記事は、医学的なレポートではなく、僕が自分の経験についてのみ書いたもので、個人的見解も多分に含まれているということをご了承ください。
そんなこと書いちゃまずいでしょ、と思われた方は、ご一報くださると幸いです。
ジストニアになった方、またはその周囲の方にとって、多少の情報になれば良いなと思います。
フォーカルジストニアとは
フォーカルジストニア、もしくは音楽家のジストニアという、脳の障害です。
簡単にいうと、楽器を持った時に体が勝手に動いてしまい、意図するように楽器を弾けない、というものです。
つまり、ジストニアになる人は、脳に障害が起こるレベルまで、(つまり人として不自然というレベルまで)ひたすら楽器を弾きまくった人です。
大きな熱量で楽器や音楽に取り組んだ結果、楽器を弾けなくなるという、とても残酷な病気だと思います。
症状
僕の場合は、中指の巻き込みと言われる症状です。
ギターやバイオリンなどの楽器を握った際に、中指が弦を押さえたまま、離すことが出来なくなります。
例えば、ド(人差し指)→レ(中指)→ミ(薬指)、というふうには、ゆっくりであれば弾けますが、そこから、ミ→レ→ドと弾こうとすると、レ(中指)からド(人差し指)に移行する際に、中指が弦を離さず、ドが弾けません。
他に僕が会ったことのあるフォーカルジストニアの方は二人おり、一人はギタリストで、症状は右手でした。
もう一人はフルートの方で、症状は口でした。
フルートは口の形を操作してブレスを笛に吹き込むわけですが、フルートを吹こうとすると、どうしても口が上を向いてしまい、吹き込めないということでした。
原因
僕の場合は、ある速弾きの奏法を、正しいフォームを習得しないまま、力づくで演奏し続けた結果と考えています。
2〜3年間、しょっちゅうライブをしており、まともな練習はほとんどしていなかったと思います。
当時はいろんなことがうまくいかず、ストレスも多かったです。
プレッシャーと闘いながら、過酷な環境での演奏を繰り返していました。
間違ったフォーム、過密なスケジュール、精神的ストレス、などの様々な要因があると思います。
ジストニアは真剣に楽器に取り組んだ結果発症する病気だと申しましたが、僕の場合は、それらを落ち着いて矯正しなかったという怠慢、判断ミスもあると思います。
精神的影響
自分の体が勝手に動く、というのは、非常にストレスです。
演奏にこだわりがあったからジストニアになるのですが、その演奏を思うようにできなくなります。
どのくらいのストレスか、例えるのが難しいですが、例えば、
・メイクにこだわりのある人がメイクをしようとすればするほどひどい顔になっていく
・几帳面で綺麗好きの人が掃除をすればするほど部屋が汚れていく
・筋肉を愛している人がトレーニングすればするほど筋肉が痩せていく
というような感覚かなと思います。
音楽家からすると生きがいに関わる問題なのですが、この感覚は他人には伝わりにくいです。
お医者さんに「まぁ、そう(ジストニア)でしょうね」と簡単に言われた時は、かなりのショックでした。
なので、もし身近にジストニアの人がいるなら、気をつけたほうがいいと思います。
しばらくすると、精神的に参ってくるようなこともあります。
自分の前で無邪気に演奏している人が憎くなったりもします。
鬱などの二次的な症状については、気をつけたほうがいいと思います。
予防
個人的には、下のようなことだと思います。
「同じ動作」に固執しすぎないこと(年単位〜)。
正しいフォームを身につけること。
いろんな曲を演奏する。
音楽的にも、普段の生活的にも、遊びを忘れない。
力で弾くのではなく、脱力して楽に弾けるようにちゃんと工夫する。
時々、信用できる人にレッスンを受けるのも良いと思います。
生活、精神、身体等、いろんな意味で無茶をしないこと。
生活
僕の場合は、一切の医学的治療をしていませんが、下のようなことが困ります。
・左手でコップを持てない。
・タイピングするときに、左手は人差指しか使えない。
それ以外のことはほとんど困りません。
僕の場合、生活に重大な影響はありません。
ただ、口に症状が現れている方と話したことがありますが、少し話しにくそうにしておられました。
コップから飲み物を飲むときに、口が逃げてしまって困るとおっしゃっていました。
治療
定位脳手術、薬、電気刺激、針、などがあるそうです。
手術は断られることがあるそうです。
これはごく個人的な見解ですが、「自転車の乗り方を忘れることはできない」のと同じように、何かしら外的治療によって「元通りになる」ということはないのではないか、と思っています。
症状や強度にもよると思いますが、奏法を変えるなどの新しい工夫によって、十分な演奏できるようになる可能性はあるのではないかと思います。